なつこのはこ(創作のはこ)

  「ドールのはこ」から「創作のはこ」へと変わりました。 皆様、よろしくお願いいたします。

スポンサーサイト

スポンサー広告


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

▲PageTop

えにし~縁~ その6

「えにし~縁~」


えにし~縁~ その1
えにし~縁~ その2
えにし~縁~ その3
えにし~縁~ その4
えにし~縁~ その5
(つづき)

 しばらく忙しかった彼女から、急に連絡があった。
「仕事、ひと段落ついたの?」
 忙しいと、半月くらい連絡がないこともよくあるから、私からはなかなか連絡することができない。ずっと気にはなっていたけれど、あの後のことも話す機会がなかった。
「それは、まだ」
「相変わらず大変ね。ところで細谷くん、大丈夫だったの? 事務所の人とか、知り合いの人とか・・・」
 立場的にはこちらは被害者のような扱いだろうけれど、彼女にも迷惑をかけてしまったのではないだろうか。
 でも、私の問いには答えてくれなかった。
「今から会える? 無理ならいいんだけど」
 まるで、無理な方が良いような言い方で、彼女にしては珍しい言い回しなのが気になった。
「会えるよ。今夜は、主人のご飯がいらないから、そっちでご馳走になろうかな」
「・・・そう。じゃ、家で待ってるから」
 主人の晩ご飯がいらない日は、時々家まで遊びに行ってご馳走になる。家族のために作る料理は、いつ食べても美味しい。
 ただ、彼女の声はいつもとどこかが違っていた。不審に思う私に問いかける間を与えることなく、電話は切れた。
 何だろう、と思いながら支度をする。家まで歩くこと十五分。彼に関して何かあったのではないかと心配になってきて、だんだん早足になってゆく。
 彼女の家に着くと靴をぬぐのももどかしく、真っ先に彼のことを聞いた。電話の時と同じく、はっきりとした返事はくれなかった。やはり問題が起きていて、話が長くなるのかもしれない。気持ちを落ち着けなければと思っていると、彼女はリビングの手前にある自室の扉を開けた。そして振り返ると、複雑な表情を浮かべる。
「・・・ちょっと仕事が残ってるの。すぐに済むから、冷蔵庫から好きな物出して飲んでいて」
 仕事の方が大事だから仕方がない。聞きたいことは山のようにあるけれど、一人ダイニングキッチンへ入った。勝手知ったる我が家のように、飲み物をグラスにつぐ。

 リビングへ向かった私は、思いがけない光景に足を止めた。
 見慣れたソファーに座っていたのは、あの、細谷琳だったから。
 これは、夢?
 何故、ここに彼がいるの?
 私は幻影でも見ているの?
 友人の家のリビングと、そこにいる彼の姿がそぐわなくて、私の頭の中は混乱した。
「ようやく会えた」
 相も変わらず、美声だった。ドラマのワンシーンと違うのは、最初に見た作り笑いではなく、本物の笑顔だということ。
 そんな顔をされたら、どうしたらいいのかわからなくなる。私はグラスを手にしたまま立ち尽くしていた。
 彼が立ち上がる。家の中だと、彼の背の高さが強調される。
「ずっと信じてもらえなくて、連絡を取ることができなかったんだ。本当に会いたかった。来てくれて嬉しい」
 数歩先に、彼がいる。
 彼の声に捕らわれてしまったかのように、目が離せなくなる。みつめられて一気に思い出す、あの時の感覚。
 囁く声、大きな手、力強い腕。温かな広い胸と彼の匂い。
 そして、深い深い口づけ。
 鮮やかに蘇るあの瞬間を、不貞な行為であるにも関わらず、今、嬉しいと感じてしまっている。もう、私の中では俳優の細谷琳ではなく、一人の男性として見ているのだ。そんな自分に愕然とする。
 固まったままの私を不審に思ったのか、心配そうに尋ねてくる。
「まさか何も聞いてない? 俺がいるって知らなかった?」
 はい、と答えた。それ以上の言葉が出てこない私に、より一層不安を募らせたようだ。
「俺に会いたかった? 会いたくなかった?」
 彼は会いたかったと言ってくれた。反対していた友人の家に、私と会うために来てくれた。それは、どれ程大変なことだったろう。
「・・・会いたくなかったのなら、俺、帰ります」
 そこにいたのはドラマで見る颯爽とした彼ではなく、寂しそうな表情をした一人の男性だった。
 帰らないで欲しい、もっと一緒にいたい、そう私は願った。でも、本心を明かすわけにはいかない。
「あまりのことに驚いてしまって」
「それなら会いたかったんだって、思っても構わない?」
 途端に少年のように笑う彼に、つい頷いてしまった。頭の中では、もう一人の自分の声が響いているのに。
(彼は俳優よ。演技かもしれないじゃない)
 そんなことはわかっている。
 でも、今こうして彼といることを、私は選びたかった。

「あの、さ。もう一度、手を握っても構わないかな」
 改めて確認したいのだと言う。無理もない。お互い同じことを考えていたのだ。
 あの時、私は途中で抵抗するのをやめてしまった。憧れの芸能人が相手だったせいなのか、一人の男性として受け入れてしまったのか、どちらなのかを知りたかった。
 それに、この家には彼女がいてくれる。そんな安心感が大胆にする。
 彼が、こちらへ近付いてくる。
 私はグラスをテーブルに置き、濡れた手を無意識に服で拭いていた。そんな様子を見て、彼がふっと笑う。そんな吐息だけで魅了されてしまう。彼の声には、どんな魔法がかかっているのだろう。
 差し出した手を、彼は壊れ物にでも触れるように、そっと握った。そのまましばらくじっと何かを考えているように、目をつむる。
 包み込むような大きな手。優しさの伝わってくる温もりだった。
 でも私は、じっと動かずにいる彼を見て、少し落胆していた。
 やはりあの時は、二人ともどうかしていたのだ。何が起こったのかはわからないけれど、今は何も起こらない。あの時のような彼の熱も感じられない。それは酷く淋しいことだった。

 家に帰ろうと思った。
 その瞬間、彼が目を開ける。
「どうしよう、手を離したくない」
 離したく、ない?
 何かを感じたの?
 あの日のことが蘇る。手を引っ張られると思い、足を踏ん張ろうとした。
 でも、既に彼に抱きしめられていた。
 やすやすと彼の腕の中に収まってしまったのは、どこかで自分が拒まなかったからだろう。頭の中には、主人の顔が浮かんでいるのに。
 優しい温もりに我を忘れそうになりながらも、冷静にならなければならないと必死に自分を制する。
 告げなければいけない。現実を。彼に。
「私、結婚してます」
「知ってる」
 彼は即答した。
「あなたより、十歳以上も年上です」
「関係ない」
 私をみつめる彼の瞳は揺るがなかった。間近でみつめられている私の方が、挫けそうだった。
「全部聞いてる」
 思った通り、事務所の人にも反対され、彼女も信じることはしなかったようだった。こうして会わせてくれても、誰も信じていないんだろうな、とぽつり彼は言った。
「あなたも信じてはくれない?」
 耳元で囁かれる彼の声はやっぱり心地よくて、このままでいいと思ってしまいたくなる。だから、これ以上話し続けて欲しくなかった。
「信じるとか、そういう以前の問題でしょう」
「結婚していなければ?」
「仮定の話をしても仕方ないわ。私は、おばさんで人妻なの」
 答えながら、ただただみじめだった。私は恋とは無縁の世界に生きているのだ。もっと早くに会えていればなんて、歌のフレーズのようなチンケな言葉が頭をよぎる。
 一瞬、彼の瞳が揺らぐ。
「・・・病院へ通っているのに?」
 私は言葉を失った。
 そのことを知っているのは、ほんの一部の人間だけだ。
「芸能人ってね、いろいろあるんだよ。あなたが出てきた医院、俺も一時期通ってた」
 見られていた? いつ?
「それであなたの友人を問い詰めた。最後まで教えてはくれなかったけど。でもあそこは、精神科しかないよね」
 人に知られたくない、そういう科だからこそ、知り合いには会わないような医院を選んだ。それなのに、まさか同じ医院に通っていたなんて。
 病気の原因は、主人にあった。
 かつては別れることも考えた。
 でも、病気を抱えながら働くことは無理だったし、結果、結婚生活を続ける方を私は選んだ。今、私たちは世間で言う仮面夫婦である。
「・・・その病院代を出しているのは主人よ」
「だったら別れて、俺と一緒になろう」
 何を言っているんだろう、と思った。
 不倫だ、略奪愛だと騒がれるに決まっている。それも美人で有名人ならともかく、私相手では俳優生命にも係わってくる。誰がそんな二人を認めてくれると言うのだろう。
「自分が何を言ってるのかわかってるの?」
「もちろん」
 出会いの時に電流が走りましたって言って結婚して、その後離婚した人間がどれだけいることか。互いのことも知らずに電撃婚なんかして、破局したカップルだってたくさんいる。
 自分の存在は、妨げにしかならない。そう思って、彼の腕から逃げようとした。
 けれど、彼は私を離してくれなかった。
 嬉しかった。でも、受け入れてはいけないのだ。
「・・・離して」
 弱気な声だったからだろう。彼は断固拒否をした。
 彼が私の腕をつかんで、リビングを出る。
 その音に、友人が自室から出てきて、廊下にたちはだかった。
「どいて下さい」
 強い意志を込めた彼の言葉に負けることなく、彼女は言った。
「無理矢理なら、通さない」
 彼女の顔を見ることができなかった。
 私はどうしたいんだろう。
 このまま、彼について行ってもいいんだろうか。
 何も考えず、甘い将来を夢見ることができれば良かったのに。
 そうするには、年を重ね過ぎていた。
 でも、私の腕を掴む彼の手は熱い。その熱は、私を柔らかく包んでくれる。
 心に従うのか。道徳に従うのか。
 こんなに急に人生の岐路に立たされて、すぐには決められなかった。
 黙ったままでいる私に、友人は言った。
「自分が一番よくわかっているでしょ」
 突き放しているようにも聞こえるけれど、私がどういう人間か、信頼してくれている言葉だった。
 彼女が望んでいた答えではなかったかもしれない。でも、どんな結論を出したとしても、彼女はいつも受け入れてくれる。私がそう決めたのなら。
「行くわ」
 ようやく彼女の顔をみつめて答えることができた。
 彼女は黙って、道をあけてくれた。
「いろいろ、ありがとう」

 彼は私を見つめて微笑むと、掴んでいた腕を離して、手をつないだ。
 三十二歳の俳優と、四十四歳の人妻。
 私たちの前には、大きな嵐が待っている。その先にあるものはなんだろう。
 彼女の視線を痛いほど背中に感じながら、私たちは家を出た。

     (つづく)

▲PageTop

えにし~縁~ その5

「えにし~縁~」


えにし~縁~ その1
えにし~縁~ その2
えにし~縁~ その3
えにし~縁~ その4
(つづき)

 その後、強制的に、事務所を追い出された。
 冷静になったとはいえ、まだ私はふらふらしていた。心配してくれた友人が、近くの喫茶店へと連れて行ってくれる。
「ごめん。あんな人だとわかっていたら、会わせなかったんだけど」
 彼女は申し訳なさそうに言った。
 それはそうだろう。誰も彼の言葉なんて信じるわけがない。
 でも、私は・・・。
「彼の言葉は本当だと思う」
「何を言ってるの」
 彼女は私のために怒ってくれている。私が何もわかっていないと思っている。
 でも、彼女は知らない。私の言葉が理解できないのは無理もない。
 周りを気にしながら、顔を近づけると小声で言った。
「彼、反応してたの。あそこ」
「え?」
 そう、『やばい』とはそういう意味だったのだ。手を握り抱き合っていただけなのに、彼の身体は熱くなっていった。その温もりは心地よく、彼の体臭なのか、香水なのか、その香りは、一瞬私を夢の世界へといざなった。
 それが、別の熱に変わった時、彼の言葉の本当の意味がわかったのだ。
「だ、か、ら、そういう奴だったんだって」
「でも彼は違うって」
「そう言ってるだけ。芸能界での言葉なんて信じちゃ駄目よ」
 多分、どう説明してもわかってはもらえないだろう。あの時の、二人の間にあったもの、『絆』、のようなもの、あれは、二人にしかわからない。
 とはいえ、私にはこれ以上どうすることもできなかった。彼の連絡先など知らないし、知ったところで連絡することなどできる筈もない。
 テーブルの上には、手のつけられないまま冷めてしまったコーヒーが二つ、取り残されていた。


     (つづく)

▲PageTop

えにし~縁~ その4

「えにし~縁~」


えにし~縁~ その1
えにし~縁~ その2
えにし~縁~ その3
(つづき)

 運命の日が訪れる。
 友人の後ろに隠れるようにして、芸能事務所へと入る。彼女は堂々としているけれど、私はただの一般人だ。受付でも、何か言われるのではと一人冷や汗をかいていた。
 マネージャーの一人だという人に事前に注意を受けたのは、はしゃぎ過ぎないことだった。どうやら、一部の熱狂的なファンのせいで懲りているらしい。それなら私も会ってはいけないのでは、と思った。
 そんな不安を抱えながら、会議室前にあったソファーに友人と腰掛けて待つ。ほとんど会話もせずに、時間が過ぎるのをただ待った。
 事務所の廊下は、思っていたよりも地味だった。華やかな世界も、裏側はこんなものなのだろうか。
 ふと、自分の着ている服が気になった。大好きな花柄のワンピース。けれど、会議室前の廊下では、浮いているように感じた。この服で良かっただろうか。若作りして、と苦笑いされてしまうだろうか。別にそんなこと誰も気に留めたりしないよね、と自嘲もした。
 隣に友人がいてくれなければ、私はその場から逃げ出していたかもしれなかった。

 ガチャリ。
 ふいに、扉が開いた。
 思わず立ち上がる。期待と不安と緊張で、身体ががちがちに固まっているのがわかる。
 でも、部屋から出てくる人たちにじろじろと胡乱げに見られて、いたたまれない思いになってしまった。
(やっぱり来てはいけなかったんだ)
 ようやく現実だとわかった、などと言ったら笑われるだろうか。
 十人近くの不躾な視線に耐えた後、彼、細谷琳が先ほどのマネージャーと一緒に出てきた。
 あらかじめ、話しはついていたのだろう。彼はテレビで見るのと同じ笑顔、つまりは作り笑いで近付いてきた。
「あなたですか」
 まっすぐにみつめられて、私はひどく焦ってしまった。
 実物の彼は、テレビで見るよりもずっと恰好良かった。しかもたった一言なのに、生の声の迫力たるや想像以上だったのだ。腰砕けにこそならなかったけれど、もっともっと声を聞きたいと願ってしまう程の美声だった。
「いつも応援して頂いているって聞きました。ありがとう」
 どう見ても私の方が年上だから、丁寧な言葉遣いで、手が差し出された。
 声に聞き惚れていた私は、その手を、ドラマの一場面のようにぼうっと眺めていた。隣にいた友人がつついて教えてくれなかったら、握手をしてくれるのだといつまでも気付かなかったかもしれない。
 私は慌てて手を出そうとした。彼の手が視界から消えてしまう前に。
 間が空いたせいなのか、芸能人としてのプライドなのか、彼は、私の手をつかむようにぎゅっと握ってきた。怒らせてしまったのかと危惧しながらも、私は彼のその手の感触に心を奪われていた。
 大きくて、細く長いしなやかな指。
 全然気付かなかった。彼がこんな手をしていたなんて。手フェチなのに迂闊だった。
 強くつかまれていた筈の手は、いつの間にか、優しくふわりと包まれていた。
 そうだった。周りには人がいる。彼も気を遣ったのだろう。芸能人とファンとの握手。ただ、それだけのこと。
 彼の手の温もりを感じながら、いずれ離れていってしまう淋しさをひしひしと感じた。
 妄想とは違い、現実はここまでだ。こうして会えて、握手ができただけでも満足しなければならない。そんなことを考えていたから、我が身に起こったことが信じられなかった。
 気付いたら、私は彼の胸に顔をうずめていたのだ。
 心臓の音が耳を通して響いてくる。鼓動が、早い?
 その上、私の耳元で呟いた。
「ほんとにあるんだ」
 その瞬間、本当に私は腰砕けになって、足元から崩れ落ちそうになった。そうならなかったのは、彼が私を一段と強く抱きしめたからだ。
 吐息が耳にかかる。声だけでなく、吐息だけでも、腰から下の力が抜けていく。
 もう駄目かもと思った時、声がまた耳元に落ちてきた。
「やばい」
 いきなり彼は、私を皆から隠すようにくるりと背を向けた。勢いで振り飛ばされそうになった私は力強い腕に支えられると、唇を奪われていたのだった。
 久しぶりに感じる唇の熱さ。
 間近に迫る瞳に映っていたのは、自分の大きな目。
 視線が合うのを確認したかのように、その後彼の瞳はゆっくりと閉じられた。意外に長い睫と共に。
 キスをされているのだと、我に返る。ところが、離れようとしても大きな手でしっかりと頭を押さえられていて、口づけは深くなっていく一方だった。
 次第に、抵抗する力がなくなっていく。
 私の身体も熱くなり、もうどうでもいいとまで思いかけていた。そのまま意識が遠のいていきそうになったのに、ふいに現実に引き戻される。別の熱を感じてしまったのだ。下半身の方で。
 私は動けなくなってしまった。
 突然の出来事に、周りにいた人たちも驚いて固まっていたけれど、当然のことながらマネージャーが一番に動いた。
「細谷!」
 どのくらいの時間が経っていたのかはわからない。でもその声が、止まっていた時を動かした。
 私たちは皆に引きはがされ、二人の間には、マネージャーと友人が立ちはだかった。
 それでも彼は、私から視線を外さなかった。
 あのキスは、五分にも十分にも思えた。私の身体も反応してしまったのは、キスのせい? それとも、ファンにとって夢のような出来事だったから?
「何するのよ!」
 友人の鋭い声が、彼に突き刺さる。
 私をかばうようにして立つ彼女が、彼を責めている。
 その言葉を聞きながら思う。所詮この世界では日常茶飯事、ということなんだろうか。あの、熱、も。
 私の顔が曇ったのがわかったのか、彼は叫んだ。
「違う」
(ちが、う?)
 引きずってでも連れ去ろうとするマネージャーに必死に抵抗しながら、彼は大声で叫び続けた。
「ほら、よく言うだろ。会った瞬間に電流が走るって。本当に走ったんだ。気付いたら抱きしめてた。キスをしたのも、止められなかった。俺が普段そんなことをしないのは、あんたたちだってよく知ってるだろ!」
 彼はずっと私をみつめていた。本気なのだ、と。
 でも私は、彼の温もりが消えていくのを感じながら、冷静になっていった。
 それはとても空しくて、哀しい現実だった。


     (つづく)

▲PageTop

えにし~縁~ その3

「えにし~縁~」


えにし~縁~ その1
えにし~縁~ その2
(つづき)

 我に返ったのは、日が沈んだ後。
 肌寒さを覚えて、辺りが暗いことに気が付いた。洗濯物を乾かしていた除湿器はいつの間にか止まっていた。
 慌ててお米をといで、炊飯器にセットする。急がないと、主人が帰ってきてしまう。
 晩ご飯のおかずを考えている私の頭は、自然と日常に切り替わっていた。

 それからは忙しく家事をこなし、一息ついたのは、全てを終えて自室に戻った後だった。
 部屋に飾ってある大きな細谷琳のポスター。主人は嫌がっているようだけれど、さすがに自室と言うことで黙認してくれている。他にも歌手や俳優のポスターが何枚か貼ってあることだし、もう呆れているのかもしれない。

 大きなポスターを眺めながら、友人との電話を思い返す。
 明日、か。
 なんだか実感が湧かない。
 急な話だということもある。芸能人と会えるというあり得ないことが、簡単に決まってしまったこともある。
 これまでは、実際に会えたらどうなるんだろう、などと想像したりしていた。でも、いざ会えるとなったら、何も浮かんでこない。日課となっていたドラマ鑑賞をすることも忘れて、ぼんやりとベッドに腰掛けていた。
 いつの間にか、そのまま横になって眠っていたらしい。
 気付いたら、朝を迎えていた。それでもまだ、実感は湧かなかった。


          (つづく)

▲PageTop

えにし~縁~ その2

「えにし~縁~」


えにし~縁~ その1
(つづき)

 あれだけ細谷琳の話をしておきながら、言えなかったことが一つだけある。
 自室に飾ってある大きなポスターのことだ。紳士服の広告で、それを貰いたいがために主人の服を買った。さすがに恥ずかしくて、そのことだけは彼女に言えなかった。
 何故だろう。お互い、応援している歌手のポスターを自室に貼っている。彼女はそんなことでからかったりしない。
 なんだか自分の気持ちがわからない。
 部屋干しの除湿器の音をうるさいと思いながら、窓から見えるうっとうしい梅雨空を眺める。テレビから聞こえてくるのは、もちろん出演作品だ。
 そのせいで電話の呼び出し音が鳴ったのも、始めはドラマの音声だと思った。
 そうではないと気付いて、ナンバーディスプレイに浮かぶ名前を見る。仕事が立て込んでいる筈の友人だった。息抜きでもしたくなったのかな、と思いながら受話器を取る。
「きてみる?」
 第一声がこれだった。主語がないから、なんのことやらさっぱりわからない。
 いつもとは違い、こういう話し方をする時の彼女は茶目っ気たっぷりで、何かをたくらんでいる。
「腰くだけになってみる?」
 最近自分が使った言葉だな、と思い出す。
「肉声、聴かせてあげる」
「えっ」
 まさか・・・、細谷琳?
「知り合いがスタッフの一人なの。向こうの都合もあるからどうなるかわからないけれど、アポ取れるよ」
 彼女は仕事柄、顔が広い。中には有名人もいるのだけれど、芸能界まで知り合いがいるとは思わなかった。
 余りのことに呆気にとられた私は、彼女の言葉の意味を理解するのにかなり時間がかかってしまった。

 けれど、無意識に返事をしていたようだ。彼女の声が遠くなったことに気付いた時、受話器の向こうで誰かと携帯で話しているらしい様子が伺えた。
 慌てて前言撤回しようとした声は届かず、彼女は携帯を切って、私に言った。
「・・・オッケーだって。ちょうど明日、会社で打ち合わせがあるから来てもいいって」
「あし、た?」
 そんな簡単に会える相手ではない。ただのファンが、いきなり会えるなんてあり得ない。
 でも、彼女はそんなことで嘘をつく人間ではないのだ。よくあるなりすましで、騙されるような人でもない。本当に細谷琳という俳優とのつながりがあるということだ。
 あの時彼女は、一方的に話し続ける私に呆れていた。それでも、知り合いに話をつけてまでアポを取ってくれたんだ。
「そう、明日。良かったね。一緒に行くから安心して」
 ここまで言われて、やっと理解した。
 頭の中が、真っ白になった。


   (つづく)

▲PageTop

««

Menu

プロフィール

natu

Author:natu
PN:李緒
雅号:珠瞳

当サイトの小説等作品の著作権は、管理人であるnatu、李緒、珠瞳に属します。
無断引用、無断転載は著作権侵害に当たりますので、ご了承下さい。

日常ブログ「なつこのはこ」
HP「なつこのはこ」

最近の記事

バナー

管理人日常ブログへ

管理人HPへ banner

このブログのバナー

ニコッとタウン

ブログ内検索

natuの本棚

使用ブラウザ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。