なつこのはこ(創作のはこ)

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ショート・ショート

ショートショート「記憶~束の間の」

   それは、奇跡と言ってもいいような、ほんの偶然の出来事だった。
 たまたま開いてしまった個室のドア。そこへ迷い込んだ幼子を追ってきた母親。
 マネージャーは仕方なく、彼女の背で、ドアを閉めた。
 コンサートを終えて、東京へ帰る新幹線の中。グリーン車の個室で、俺は彼女と初めて会った。


 彼女は幼子を抱きかかえると、恐縮してすぐにも出ていこうとした。
 それを止めたのは、俺だ。
 ドアを閉めたのは、ファンに気付かれてしまったから。今、彼女が出ていったら、大騒ぎになるかもしれない。しばらく様子を見た方がいいと、マネージャーも判断したのか、しぶしぶ頷いた。
 大丈夫だと空気を読んだのだろうか、幼子が母親の腕から逃げ出した。あ、と手を伸ばした彼女を、小さく制止し、目配せで大丈夫と伝える。
 無言で頷いた彼女の瞳が、俺を見た。
 その瞬間、俺の身体に電流が走った。
 そして、何かが甦るような感覚。
 彼女は黙ったまま、すうっと瞳を幼子へと移した。視線が外れたことで、俺はひどく落胆した。
 子ども好きなメンバーが、幼子に声をかける。その子を心配そうにみつめながら、彼女は申し訳なさそうにドアのところで立っていた。
 俺は、彼女から目が離せなかった。
 なんだろう、この感情は。
 俺よりも十歳は上であろう、人妻であり母親である彼女。
 アイドルグループの俺たちのことなんて、おそらく知らないだろう。そのことが、俺のことを知らないということが、何故こんなにも哀しくて、口惜しい。
 初めて会った女性なのに。
 何故、こんなにも愛おしく感じるんだ。
「ママ、いつも”でぃーぶぃでぃ”見てるよ」
 素直な幼子の声が、部屋に響いた。
 顔を赤らめて、彼女は俯いた。
「俺たちのこと、知ってるの?」
 うん、大好きだよ、と幼子が無邪気に答える。
 この中で誰が一番好き?
 メンバーが、からかうように幼子に尋ねた。
「ママはねぇ…」
 幼子が答えたのは、俺の名前だった。


 彼女たちは、横浜駅で下りていった。
 その少し前、彼女の夫からメールが届いた。
 携帯を変えたばかりのようで、もたもたしていた彼女の手から、俺は携帯を取り上げた。普段なら、こんなことはしない。慌てる彼女の顔から、ほんの一瞬、おびえにも似た表情を見つけなければ。
 口で説明するより早いと思ったから、新着メールを開いてみせた。ほっとしたような顔つきに、俺の心は締めつけられた。
 だからかもしれない。携帯に、ほんの少し細工をした。ちらとのぞき見たオーナー情報にあった彼女の誕生日。その日が来たら、彼女は俺のメッセージを見ることになるだろう。
『おめでとう』
 彼女の携帯番号は、俺の頭の中に入っている。
 決してかけてはいけない番号。
 どんなに逢いたくても。
 どんなに恋しくても。
 幸せなのかどうか、今どうしているのか、どんなに気がかりだったとしても。
 住む世界が違う相手。
 既に結婚して、子どももいる相手。
 覚えていてくれるだろうか。ほんの短いあの時間のことを。
 今生では、もう絶対に逢うことはかなわない、俺のことを。


 クールを売りにしている俺が作った新曲は、メンバーやスタッフを驚かせた。
 狂おしいまでの恋情。
 俺だって、そんな歌が書けるとは思いもしなかった。
 ファンの子たちの間では、相手は誰なんだろうと噂になっているらしい。ラジオ番組で読まされた葉書に、教えて欲しいと書かれてあった。
「もう、決して逢えない人」
 俺は、そう答えた。
 彼女は、あの歌を聴いてくれただろうか。
 俺の想いは、少しは伝わっただろうか。
 そんなわけはないか。
 彼女は、相手が自分だなんて思いもしないだろう。
 結局、彼女の口からはファンだという言葉は出てこなかった。
 あの幼子の言葉だけが、俺の耳に残っている。
「ママが好きなのはねぇ…」
                      【完】



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