なつこのはこ(創作のはこ)
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「昔々のお話」
昔々のお話・番外編「朔の夜」その1
(これは、飛鳥に統一国家ができる、ずっと以前のお話「昔々のお話」の番外編です。
昔々のお話・1「名を教えて」)
いつもの言い争いだった。
「大っ嫌いっ」
かつて、ナウラがひたすら言い続けた言葉。
カヤと寝るようになっても、言い争いがこじれるとそう叫んで、家を飛び出していた。
今夜が朔の夜だと気付いたのは、外へ出てから。
辺りは、闇。
けれど、ナウラには光など必要なかった。そのまま怒りにまかせて、歩き続ける。
『朔の夜には、外へ出てはならぬ…』
郷のおばあに、きつく言われていたのを思い出す。
やっぱり家へ帰ろう、そう思ったナウラの耳に、かすかな音が届いた。
(誰か、いる)
こんな夜に出歩く者は、この郷にはいない。
ならば、それは…。
『土蜘蛛にさらわれるぞ』
土の下に暮らす、異形の一族。人とは距離を置き、闇の中で生きている。一度土蜘蛛に捕らわれたら、二度と地上には帰れないと言う。
闇夜に目が利く土蜘蛛に目を付けられたのなら、逃げる術はない。
ナウラは、家を飛び出したことを今更のように後悔した。
「新しく郷へ来た者か」
恐ろしい存在と聞かされていた筈の男の声は、何故か優しい響きだった。
「家まで送ってやる」
女と見れば、さらうのではなかったのか。それとも、たばかって地中へと引きずり込もうというのか。
「…自分で帰れます」
闇夜を見通すことはできなくても、家の場所ならナウラにはわかる。気丈に答えた声が震えているのに気付いた男は、可笑しそうに笑った。
「あぁ、そういう力を持っているのだったな」
屈託のない、朗らかな笑い声だった。
「なら、気を付けて帰れ」
それきり、男の気配は消えた。
それを確認すると、ナウラは全力疾走で、家へと向かった。
土蜘蛛に会ったことは、誰にも言わなかった。
家へ戻った後、カヤからこってりと叱られて、朔の夜には外へ出ないことを約束させられた。
ナウラとて、あんな怖い思いはもうごめんだ。
ただ、皆が言う土蜘蛛のイメージとは、あまりにもかけ離れた男のことは、ナウラの中に印象強く残っていた。
再会したのは、下弦の月の夜。
「…覚えているか」
一人で家へ戻る途中、暗がりから声が聞こえた。
「…朔の夜に、会った人?」
くっ、と笑う声が響く。
「人…、か。そんな風に言われたことはないな」
そんなつもりで言ったわけではなかったが、楽しげに笑う声に、ナウラは警戒心を解いた。
「まだ、月の光は明るいわよ? 出てきても大丈夫なの?」
「朔以外の日でなければ、会えないだろう」
そう言って、声の主が木陰からふらりと現れた。
その姿を見て、ナウラは絶句する。
土蜘蛛は、異形の一族。そう聞いていたが、目の前に立つ若い男は、すらりとした体躯で、端正な顔立ちをしていた。
時折、土蜘蛛に強く惹かれて、自らその世界へと入る者がいるという。こんな男がいるのであれば、無理はないかもしれないと、ナウラは思った。
「怖がらないんだな」
「その姿なら。それに、あの夜、私が家に入るまで後を付けてたでしょう。守ってくれたのよね」
ひゅう、と男は口笛を吹いた。
「耳がいいんだな」
幼い頃から山へ入っていた。危険な動物から身を守るために、聴覚を研ぎ澄ませた。狩りのうまいシュウと一緒だったことも、五感を養うのに役立った。
「それで? 何しに来たの?」
その問いに、男が微笑む。
背筋がぞくり、と震えた。
どこか陰のある笑み。やはり、この男は土蜘蛛なのだ。
「もう一度、おまえに会いたいと思ったんだ」
連れて行かれる、そう思って身構えたナウラを、男は淋しげな表情でみつめた。
「…悪かった」
そう言って踵を返そうとした男の腕を捕まえる。
驚いたようにみつめる男の顔を、ナウラはまっすぐに見つめ返した。
「ここへ戻れなくなるのは恐い。でも、あなたは聞いていた土蜘蛛とは全然違う。あなたのことは、怖くない」
男は、破顔した。その笑顔は、幼子のように、無垢だった。
「俺の名は、ギダ。また、会いに来ても構わないか?」
ナウラは頷いた。
自分も名乗ろうとした唇に、ギダの長い人差し指が触れる。
「おまえは名乗るな。誰かが聞いているといけない」
ここでの呼び名は、本当の名。本来、知られると支配されてしまう、大切な名だった。
どうやらギダは、本当の名を知っているらしい。ナウラは、言葉を呑み込んだ。
ギダはいたずらっ子のように笑うと、その人差し指を自分の唇へ持っていった。
目を閉じて、軽く口づける。
ナウラは、まるで自分がされたような感覚に陥って、顔を赤らめた。
「こんなことをしたら、カヤに怒鳴られるな」
「カヤを知ってるの?」
それには答えず、ギダは闇へと消えていった。
(つづく)
昔々のお話・1「名を教えて」)
いつもの言い争いだった。
「大っ嫌いっ」
かつて、ナウラがひたすら言い続けた言葉。
カヤと寝るようになっても、言い争いがこじれるとそう叫んで、家を飛び出していた。
今夜が朔の夜だと気付いたのは、外へ出てから。
辺りは、闇。
けれど、ナウラには光など必要なかった。そのまま怒りにまかせて、歩き続ける。
『朔の夜には、外へ出てはならぬ…』
郷のおばあに、きつく言われていたのを思い出す。
やっぱり家へ帰ろう、そう思ったナウラの耳に、かすかな音が届いた。
(誰か、いる)
こんな夜に出歩く者は、この郷にはいない。
ならば、それは…。
『土蜘蛛にさらわれるぞ』
土の下に暮らす、異形の一族。人とは距離を置き、闇の中で生きている。一度土蜘蛛に捕らわれたら、二度と地上には帰れないと言う。
闇夜に目が利く土蜘蛛に目を付けられたのなら、逃げる術はない。
ナウラは、家を飛び出したことを今更のように後悔した。
「新しく郷へ来た者か」
恐ろしい存在と聞かされていた筈の男の声は、何故か優しい響きだった。
「家まで送ってやる」
女と見れば、さらうのではなかったのか。それとも、たばかって地中へと引きずり込もうというのか。
「…自分で帰れます」
闇夜を見通すことはできなくても、家の場所ならナウラにはわかる。気丈に答えた声が震えているのに気付いた男は、可笑しそうに笑った。
「あぁ、そういう力を持っているのだったな」
屈託のない、朗らかな笑い声だった。
「なら、気を付けて帰れ」
それきり、男の気配は消えた。
それを確認すると、ナウラは全力疾走で、家へと向かった。
土蜘蛛に会ったことは、誰にも言わなかった。
家へ戻った後、カヤからこってりと叱られて、朔の夜には外へ出ないことを約束させられた。
ナウラとて、あんな怖い思いはもうごめんだ。
ただ、皆が言う土蜘蛛のイメージとは、あまりにもかけ離れた男のことは、ナウラの中に印象強く残っていた。
再会したのは、下弦の月の夜。
「…覚えているか」
一人で家へ戻る途中、暗がりから声が聞こえた。
「…朔の夜に、会った人?」
くっ、と笑う声が響く。
「人…、か。そんな風に言われたことはないな」
そんなつもりで言ったわけではなかったが、楽しげに笑う声に、ナウラは警戒心を解いた。
「まだ、月の光は明るいわよ? 出てきても大丈夫なの?」
「朔以外の日でなければ、会えないだろう」
そう言って、声の主が木陰からふらりと現れた。
その姿を見て、ナウラは絶句する。
土蜘蛛は、異形の一族。そう聞いていたが、目の前に立つ若い男は、すらりとした体躯で、端正な顔立ちをしていた。
時折、土蜘蛛に強く惹かれて、自らその世界へと入る者がいるという。こんな男がいるのであれば、無理はないかもしれないと、ナウラは思った。
「怖がらないんだな」
「その姿なら。それに、あの夜、私が家に入るまで後を付けてたでしょう。守ってくれたのよね」
ひゅう、と男は口笛を吹いた。
「耳がいいんだな」
幼い頃から山へ入っていた。危険な動物から身を守るために、聴覚を研ぎ澄ませた。狩りのうまいシュウと一緒だったことも、五感を養うのに役立った。
「それで? 何しに来たの?」
その問いに、男が微笑む。
背筋がぞくり、と震えた。
どこか陰のある笑み。やはり、この男は土蜘蛛なのだ。
「もう一度、おまえに会いたいと思ったんだ」
連れて行かれる、そう思って身構えたナウラを、男は淋しげな表情でみつめた。
「…悪かった」
そう言って踵を返そうとした男の腕を捕まえる。
驚いたようにみつめる男の顔を、ナウラはまっすぐに見つめ返した。
「ここへ戻れなくなるのは恐い。でも、あなたは聞いていた土蜘蛛とは全然違う。あなたのことは、怖くない」
男は、破顔した。その笑顔は、幼子のように、無垢だった。
「俺の名は、ギダ。また、会いに来ても構わないか?」
ナウラは頷いた。
自分も名乗ろうとした唇に、ギダの長い人差し指が触れる。
「おまえは名乗るな。誰かが聞いているといけない」
ここでの呼び名は、本当の名。本来、知られると支配されてしまう、大切な名だった。
どうやらギダは、本当の名を知っているらしい。ナウラは、言葉を呑み込んだ。
ギダはいたずらっ子のように笑うと、その人差し指を自分の唇へ持っていった。
目を閉じて、軽く口づける。
ナウラは、まるで自分がされたような感覚に陥って、顔を赤らめた。
「こんなことをしたら、カヤに怒鳴られるな」
「カヤを知ってるの?」
それには答えず、ギダは闇へと消えていった。
(つづく)
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